殖民地的自由學園
「奇裝異服」與「特立獨行」,可以說是當是臺北高校生的特色與特權。從中學進入臺北高校後,頭髮由剃得光光變成可以蓄髮,有的學生弊衣、破帽、不修邊幅、穿木屐、腰部綁著長條毛巾,隨風搖擺,那種旁若無人顧盼自雄的模樣有如戰國時代的浪人,但是學校卻可以視若無睹,任其存在。
學生們奔放不羈的行徑,與殖民體制下的臺灣社會並存,交織成為這個時代獨特的教育氛圍,宛若另一個「跳舞時代」,這正是殖民地之下的自由學園──臺北高等學校。
不僅學風自由奔放,臺北高校畢業生在近代的國家發展中,具有相當的影響力,因而臺日籍畢業生不約而同地形容,臺北高校是日本殖民統治下的「一股清流」。
陳列文物
文物名稱 | 說明 | 狀態 | |
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1 | 入學考題及放榜名單 | 每年臺北高校的入學試題及放榜名單,都會在報紙及廣播中刊登出來。日本時代人們形容臺北高校的入學測驗,為「全臺升學最大難關」,也代表這所學校扮演了嚴選人才的功能 | 重製品 |
入学試験問題と合格者一覧 | 臺北高校の入学試験問題と合格者名は、毎年新聞とラジオで公表された。日本時代、臺北高校の入学試験は「臺湾全土で最も難しい試験」と言われ、正にエ リート候補生を厳選するための手段であった | 複製品 | |
2 | 准考證 | 臺北高校的入學准考證,跟今日一樣有准考證號碼及背面的注意事項 | 原件∕伊藤圭典先生捐贈 |
入学試験の受験票 | 今日と同様、受験番号が表記され、裏には注意事項が書かれていた | 原本∕伊藤圭典氏寄贈 | |
3 | 入學通知信件 | 通知入學的信件,隨信附上入學注意事項 | 原件∕伊藤圭典先生捐贈 |
入学通知書 | 入学に関する注意事項が付記されている | 原本∕伊藤圭典氏寄贈 | |
4 | 臺北高等學校生徒便覽 | 臺北高校的學生手冊,隨入學時一同發放 | 原件∕伊藤圭典先生捐贈 |
臺北高等学校生徒便覧 | 臺北高校の生徒手帳は入学と同時に配られた | 原本∕伊藤圭典氏寄贈 | |
5 | 學寮住宿費收據及出納簿 | 七星寮宿舍的學生繳費收據及出納簿 | 原件∕楊益龍先生捐贈 |
寮費の領収書と出納簿 | 七星寮の生徒が受け取った寮費の領収書と出納簿 | 原本∕楊益龍氏寄贈 | |
6 | 入寮者注意事項 | 學校發給七星寮宿舍學生的注意事項 | 原件∕伊藤圭典先生捐贈 |
入寮者注意事項 | 七星寮に入寮する生徒に配られた注意書き | 原本∕伊藤圭典氏寄贈 | |
7 | 英語科、德語科課堂筆記 | 高校課程最重視的就是每週十餘小時的外語課程,不分班級均需修習英語及德語兩種語言(「独乙語」即德語) | 原件∕川平朝清先生捐贈 |
英語科•ドイツ語科の授業ノート | 高等科の課程で最も重視されたのが1週間十時間以上にのぼった外国語の授業であった。どのクラスに属そうと英語とドイツ語の両方を履修しなければならなかった。(例えば、独乙クラスだとドイツ語をメイン、英語をサブで履修した) | 原本∕川平朝清氏寄贈 | |
8 | 理科實驗器材 |
理科課程的實驗器具 | 原件 |
理科実験器材 | 理科の授業で用いた実験器具 | 原本 | |
9 | 「臺高」 | 臺北高校高等科新聞部發行,以發表論文、校園動態為主的綜合性刊物 | 原件∕移川丈兒先生捐贈 |
『臺高』 | 臺北高校高等科新聞部発行。論文や校内のニュースを主に掲載、総合的な校内出版物 | 原本∕移川丈児氏寄贈 | |
10 | 「翔風」 | 臺北高校高等科文藝部發行,以發表文學創作、讀書心得為主的藝文刊物 | 原件∕移川丈兒先生捐贈 |
『翔風』 | 臺北高校高等科文芸部発行。文芸作品や読書感想文を主に掲載した文芸雑誌 | 原本∕移川丈児氏寄贈 | |
11 | 「翠榕」 | 尋常科生的藝文刊物 | 原件∕黃伯超先生捐贈 |
『翠榕』 | 臺北高校尋常科生たちの発行した文芸雑誌 | 原本∕黄伯超氏寄贈 | |
12 | 「杏」讀書會誌 | 以文學發表與討論為中心的讀書會會誌,由臺籍高校生發起,除了第一號,均只製作1本相互傳閱輪讀 | 原件∕張寬敏先生借展 |
『杏』読書会同人誌 | 文芸作品発表と文学についての議論を主な目的とした読書会。臺北高校の臺湾籍生徒たちが主宰。第一号以外各号とも、唯一製本した一冊を会員たちが回覧した | 原本∕張寛敏氏提供 | |
13 | 「雲葉」 | 昭和19年尋常科修了生的班級刊物 | 重製品 |
『雲葉』 | 昭和19年尋常科終了生たちのクラス雑誌 | 複製品 | |
14 | 紀元2600年校慶手巾 | 1940年校慶紀念手巾。紀元2600年是日本紀元整數,各地方舉辦重大的奉祝活動,也是臺灣與日本近代史上重要轉折的一年 | 原件∕川平朝清先生捐贈 |
紀元2600年の年の記念祭手ぬぐい | 1940年の記念祭で配られた手ぬぐい。紀元2600年、臺湾•日本の各地でさまざまな催しが行われた。臺湾と日本の近代史上、節目となる一年であった | 原本∕川平朝清氏寄贈 | |
15 | 第一回校慶明信片 | 1928年首次舉辦校慶時的紀念明信片 | 原件∕郭双富先生借展 |
第一回記念祭の絵はがき | 1928年第一回記念祭で配られた絵はがき | 原本∕郭双富氏提供 | |
16 | 高等科畢業證書 | 高等科畢業證書。高等科修業三年,畢業後原則上可免試直升日本各大學 | 原件∕小見山大輔先生捐贈 |
高等科卒業証書 | 高等科は修業期間が三年で、卒業後原則的に日本の各大学に無試験で入学できた | 原本∕小見山大輔氏寄贈 | |
17 | 尋常科修了證書 | 尋常科結業證書。尋常科相當於中學,修業四年後可直升高等科,毋須通過艱難的升學測驗 | 原件∕小見山大輔先生捐贈 |
尋常科修了証書 | 尋常科は中学に相当し、四年を修業した後、高等科に直接進学でき、難しい入学試験を受ける必要なかった | 原本∕小見山大輔氏寄贈 | |
18 | 頭頂白線帽的天之驕子(假人) | 學生頭頂上的白線帽,往往剛入學就遭開封成為「破帽」,身著黑披風,大街上散步時故意使披風高揚,一邊放聲高歌,一邊足踏特製的高腳木屐,配備又寬又粗的木屐帶闊步行走,發出喀答喀答地聲音,相當威風 | 木屐與黑披風為阿部浩二先生(二高畢業生)捐贈 |
頭に上には、誇らしき白線帽 | 入学してすぐ生徒たちは新品の帽子をわざと「破帽」に改造した。黒いマントを身につけ風を切り、時には高らかに歌を歌い、高下駄をカランコロンと鳴らしながら歩く様子は、威風堂々としていた | 下駄とマントは阿部浩二氏(二高卒業生)寄贈 | |
19 | 紀念手巾 | 同窗會在戰後重製,贈予校友的紀念品之一 | 原件∕張燦生先生捐贈 |
記念手ぬぐい | 蕉葉会が戦後複製したもの。卒業生へ記念品として配られた | 原本∕張燦生氏寄贈 | |
20 | 「蕉葉」校徽 | 名畫家塩月桃甫設計,以芭蕉端正而豐滿的闊葉,及熱帶晴空中,亭亭而立的椰子的葉尖,設計而成的校徽。椰子葉象徵勝利、正義、向上,三角形象徵平等、安定、進步,三角的頂角為真善美、科學藝術宗教、教育道德體育之不偏的理想。校徽嵌於兩條白線中間,即成高校的兩條白線制帽 | 重製品 |
「蕉葉」をモチーフにした校章 | 塩月桃甫画伯によるデザイン。芭蕉の葉と椰子の葉の先をモチーフにして作られたと言われる。椰子の葉は勝利、正義、向上を表し、三角形は平等、安定、進歩を象徴。三角形の頂角は真善美、科学芸術宗教、教育道徳体育という普遍的な理想を表現。校章と二本の白線、これこそ臺北高校の制帽である | 複製品 | |
21 | 制服鈕扣 | 高校制服上的鈕扣 | 重製品 |
制服ボタン | 制服の上につけられていたボタン | 複製品 | |
22 | 同窗會會服 | 日本方面同窗會「蕉葉會」,製做的會服外褂 | 原件∕富田敏郎先生捐贈 |
同窓会会服 | 日本における同窓会組織「蕉葉会」が製作したハッピ | 原本∕富田敏郎氏寄贈 | |
23 | 紀念領帶 | 同窗會製做贈予校友的紀念品之一 | 原件∕富田敏郎先生捐贈 |
記念ボータイ | 蕉葉会が製作した記念品の一つ | 原本∕富田敏郎氏寄贈 | |
24 | 高校時期照片 | 高校第四回校慶戲劇公演,及尋常科生海邊教學相關照片,由戰後臺北高中職員楊益龍先生(臺北高中第一屆畢業生)保存 | 原件∕楊益龍先生捐贈 |
高校時代の写真 | 第四回記念祭における演劇公演及び尋常科生の臨海学校での写真。戦後臺北高級中学の職員をしていた楊益龍氏(臺北高級中学第一期生)によって保存されていたもの | 原本∕楊益龍氏寄贈 | |
25 | 紀念祭劇節目表 | 戰後臺北高中第一回校慶戲劇公演節目表 | 原件∕楊益龍先生捐贈 |
記念祭の演劇公演プログラム | 戦後の臺北高級中学第一回記念祭の演劇公演プログラム | 原本∕楊益龍氏寄贈 | |
26 | 漫畫「臺高物語」 | 以臺北高校為主角繪製成而的漫畫,作者為本校美術系畢業生陳中寧同學 | 重製品 |
漫画『臺高物語』 | 臺北高校を擬人化し主人公にした漫画。作者は本学美術学科卒業生•陳中寧 | 複製品 | |
27 | 畢業生的祝辭 | 紀念並慶賀母校創立90週年祝辭,為第一期畢業生清水護先生(2012年6月14日仙逝,享年104歲)遺稿 | 原件 |
卒業生による祝辞 | 創立90周年を迎えるにあたり、第一期生清水護氏がしたためた祝辞。清水氏は本年(2012年)6月14日に逝去。享年104歳。遺稿 | 原本 | |
28 | 在學證明書 | 1945年戰爭結束,臺北高校尚未畢業的日籍學生,返日後希望可在其他高校復學,向學校申請的在學證明書 | 原件∕福地達夫先生捐贈 |
在学証明書 | 1945年終戦を迎え、臺北高校にはまだ卒業を迎えていない日本籍生徒がいた。彼等は帰国後他校に復学するべく、臺北高校に在学証明書を発行してくれるように申し出た | 原本∕福地達夫氏寄贈 | |
29 | 臺北高校畢業生著作 | ─ |
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臺北高校卒業生の著作 | |||
30 | 臺北高校畢業生傳記、回憶錄 | ─ |
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臺北高校卒業生の伝記作品•回顧録 | |||