臺高舞
「臺高舞」(原文臺高踊,日文「踊」就是舞)是富有原住民「風味」、但不是原住民「原味」的舞蹈,在學期間大家幾乎都能跳上一段,並作為臺北高校「名物」的校園特產。嚴格來說,臺北高校其實有兩套舞蹈,「臺高舞」是從更早之前的「高砂舞」(1928年創出,原文高砂踊)演化而來。
「高砂舞」是由臺北高校體操教師船曳實雄,與數名學生於假期間深入臺灣原住民部落,觀察其生活種種,經酋長傳授舞蹈要點,而後由船曳實雄新創為「高砂舞」(最初名為「生蕃踊」,1930年代以降才普遍被稱為「高砂踊」)。「高砂舞」除舞蹈本身,還搭配兩首音樂教師村橋靖彥採集的原住民歌曲「蠻歌」,加上日語的「第一校歌」、「第二校歌」,間以「御大典の曲」伴奏而成。
於「高砂舞」基礎上,「臺高舞」在隔年(1929)被創造出來,相對於「高砂舞」較接近原住民,且偏向尋常科生來跳,「臺高舞」的日本味更加濃厚,捨悠長而取簡潔,成為全校性舞蹈。當時高等科學生想要「創造」代表運動會之「名物」,和英文教師小山捨月討論後,由小山教師填寫歌詞,音樂教師村橋靖彥作曲,此即〈臺高踊り歌〉由來。編舞由另一名體操教師鴻澤吾老,及船曳實雄協力完成。爾後臺高舞成為臺北高校記念祭、寮祭的固定演出,甚至戰後全日本「寮歌祭」,臺高畢業生穿著象徵臺灣原住民的衣飾,繼續演出「臺高舞」。而其舞蹈精神乃嚮往原住民生活的純真,期待躍舞者追求或保持著人類的純真性。
參考文獻:徐聖凱(民110),臺北高校的高砂舞與臺高舞,臺高師大通訊,4期,頁16-21。
船曳實雄 | 鴻澤吾老 | 小山捨男 | 村橋靖彥 |
臺高踊歌
村橋靖彥作曲
一、對の大屯 わしらが館よ 文の暁天 はや ひはたかい
やしの はかぜに あるふぁー 繰ればよ ころゝ ころゝと あら 玉の汗
ホーライ ホーライ ホーライ ホーライ こゝ臺高にとこのなつ
二、三層樓下に 噴水はのぼるよ しぶく、ひざしで、睡蓮もねむる
芭蕉はかげに いこへやしばしょ とろり、するひま さつと、南風がふく
ホーライ、ホーライ、ホーライ、ホーライ こゝ臺高にとこのなつ
三、七星山から 白鷺 まへばよ わしが 白筋 さびしさしらぬ
友よ しらさぎ みなみへ 羽摶てよ ましろ 翼に 赤道がうつる
ホーライ ホーライ ホーライ ホーライ こゝ臺高にとこのなつ
四、脊にや、淡水川櫓は、うたふよ 浴、水牛 ゆうひがゆれる
想思魂寄る きしべの、つどひよ 童子の、くさかる のずゑあかい
ホーライ、ホーライ、ホーライ、ホーライ こゝ臺高にとこのなつ
五、島のパミール にひたか のぼりよ ひがし 斷崖 岨道 づたひ
ゴム葉彈みに をのこの 胸内よ 島の樹木ほど ときわに しげる
ホーライ ホーライ ホーライ ホーライ こゝ臺高にとこのなつ